高校生後半や大学生になりたてのころ、高校野球が年下のスポーツになったことについて感慨にふけるのは誰しも通る道。私にとってはそれもすでに10年以上前の話。今やプロ野球すら年下の名選手が生まれるほどになってしまった。
そういう単位の時間を越えて、ここ2週間程度かけてジブリの映画をいくつか久々に見た。iPhoneで持ち出せるようになってから通勤や客先移動の合間に映画を見ることができるようになったのだ。
映画は変わっていないはずなのに、変わったように見える。
どうやら自分が変わったらしい。
天空の城ラピュタ
子供の頃は、自分にもパズーと同じことができると本気で思いながら思ってみていたが、それから25年も経ってしまった今、何をどうひっくり返しても二度と戻ってこないあの頃の若い力が躍動して織りなす「冒険」を直視できない自分がいることに気づいた。
自宅の地下室で飛行機を作ったり、かっこ良く朝のラッパを吹いたり、40秒で支度ができると思ってた。それが今はどうだ。自宅は飛行機が入るほどの地下室どころかただのしょぼい1Kだし、コップを洗うのがめんどくさいからラッパ飲みくらいしかできないし、目が覚めて布団から出るだけで40分はかかる。
そしてなんと、ムスカは年下だったそうな。32歳の若さで大佐ということはあの赤い彗星と同じくらい有能な人間だということだ。シャアと同じレベルなら、人が愚民、いやゴミにみえるのも無理はない。
どうでもいいけど空から女の子降ってこないかな。
となりのトトロ
ほぼ等価の主人公が二人いるからか、なんとなく第三者的な見方になってしまう。子供の視点でさつきとメイになりきるか、親の視点でさつきとメイを見てはらはらほのぼのするか。親の視点子供の視点で、親の視点になっている自分がいることに気づいた。
だからといって別に人の親になったわけでもないし、これからそうなる予定も特にない。「親の視点」と言ったものの、これが本当に親の視点なのかはよくわからないのがなんとも悲しい。
魔女の宅急便
陽気なリズムでオープニングを飾るユーミンの「ルージュの伝言」は実は旦那さんに浮気された奥さんの歌なのだ。余計なお世話だけど、夫に浮気されたのを義理の母親に相談できるってのは義理の実家と相当仲がいいのだろう。
耳をすませば
若い頃は、何かを成し遂げる力が夢や恋に支えられている。
が、大人になるとその力は違うところから出てくる。
たとえば動機が同じ女性由来であるとしても、それは恋ではなくて欲なのだ。夢ではなくて、欲なのだ。
いやむしろそう思っているという自分はただ単に疲れたからか何かに失望したか恋にヘタクソなだけかもしれない。
行動と夢恋が密接な関係を持っていた甘酸っぱい青春時代を描いている耳すま。これはもう直視できない。うらやましすぎる。
結論
紅の豚がいい。
ジーナさんのような女性に恋をしたいものだ。
彼女はバツ3。(全部死別なのでバツとは言わないか)
ポルコは36歳だそうで、こちらもそろそろ年下になるようだ。
どちらにしてもその年齢までにあのような状況に追いつけないことはほぼ確定なのだが、まだ落ち着いて観れる。